2000年3月、北日本旅行報告(1) 〜 出発編 

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< 2000年3月4日 土曜日 出発 >

突然思い立って、新潟・山形・仙台に行くことにしました。

例によって、埼玉を発ったのが午後だったため、高崎に着いた時には既に陽は落ち、 冷たい雨が降り始めました。もうこれ以上北上するのは避け、高崎に泊まることにしました。
実はこの時点ではまだ、「(仮称)市立大学視察全国行脚計画」 の一環として、高崎経済大学を見物してやろうという企みもあったからです。
高崎駅西口のビジネスホテルに予約無しで訪れ、一夜を過ごしました。

< 2000年3月5日 日曜日 高崎〜新潟 >

朝7時半にはチェックアウトして、高崎の町を散歩しました。
すぐ近くで高崎城址を見つけました。高崎が城下町という事実は、恥ずかしながら全然知りませんでした。
県庁所在地でもないのに高々と聳える高崎市庁舎を目視してから駅前へ。

駅前のバスターミナルで高崎経大へ向かうバスを探しましたが、あいにく1時間ぐらい来ない模様。 「市立大学=市街地に近い」、というのは単なる思い込みに過ぎないことが判明。横浜・大阪・神戸・北九州にある市立大学は、比較的交通の便の良いところにあるのに(京都や広島・下関・都留は知らないけれど)。
仕方ないので、信越線で北高崎まで行き、そこから経大まで歩くことにしました。タクシーには、死んでも乗りたくない。
高崎で時間を食うと、今日中には新潟に着けなくなってしまいます。タイムリミットは、約1時間。つまり、片道30分です。

高崎駅で 「青春18きっぷ」 を買い、横川行きに乗り込みました。碓氷峠越えの路線が廃止されたためか、もろローカル線然としています。
寂しい北高崎駅を後にし、からっ風吹きすさぶ中をひたすら歩くこと約30分、まだ経大らしき建物は見えません。そろそろタイムリミットです。国道に看板。見ると、「高崎経済大 1.3km」。あともう30分あれば......。仕方ないので、陸橋の上から、遥か遠くの山のふもとにそれらしき立派な建物(受験雑誌で昔見た)を目視して、引き返しました。

恐るべし、高崎経済大学。「(仮称)市立大学視察全国行脚計画」 がこんなに早く潰えるとは......。リベンジマッチは当分予定無し。次来るときは、タクシー利用も止むを得ませんね。

高崎に戻ってから、少し時間があるので、駅前に聳える某債務超過ゼネコンの本社を激写(←古語)。日曜日なので、入り口のシャッターは固く下ろされていました。写真は、アップロードしません。

さあ、新潟へ向けて出発。途中、前橋に立ち寄ることにします(旧制工専が有名な桐生市に行くほどの時間はありませんでした)。
利根川の鉄橋から、1998年水害で自動車が多数流された河川敷と群馬県庁が見えました。どこもお役所はキレイです。
駅前から県庁まで続く立派なケヤキ並木を歩き始めましたが、あまりの強風に、途中で引き返しました。「上州名物、かかあ天下とからっ風」 と言いますが、伊達ではありませんでした。この並木道に、怪しい証券販売で廃業に追い込まれたM証券の本店があったはずですが、このときはまだ名前すら知りませんでした。

新前橋に戻ると、なにやら鉄チャン(鉄道マニア)連中がおかしな行動を。写真の三脚を持ってホームの端へ大移動です。何か来るのでしょうか?
......と、噴煙を上げながら驀進して来たのは蒸気機関車のD51でした。団体臨時列車だったようです。蒸気機関車なんて、ディーゼルカー以上に有害物質をまき散らしていそうですが、根強い人気があるのですね。(旧制学校の校舎や寮歌のファンなんてのも、懐古趣味と考えるならば、根は同じかもしれません。)

その後、雪深い水上、長岡にて列車を乗り継ぎ、北陸地方最大の都市 新潟に到着したときには、もう陽は暮れかかっていました。
しかし、新潟、なんと巨大な都市なのでしょう。おまけに雪もまったくありませんでした。
この日も早々に駅近くにビジネスホテルを見つけ、次の日に備えることにしました。


しかし、ビジネスホテルの部屋で、重大なことに気付いてしまいました。
次の日は新潟県立図書館に行く予定にしていたのですが、月曜日じゃないか!
月曜日といえば、公共施設が軒並み休む日です。曜日なんて全く関係ない生活を送っていた私は、そんなことすらすっかり忘れて旅に出たのでした。
さて、どうなる? 続きはこちらです


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