極貧 MIDI 陳列所

えんたろうつうしん表紙極貧 MIDI 陳列所


「極貧 MIDI」とは、私えんたろうが 極貧な MIDI 環境でつくった簡素な MIDI ファイルです。
このページでは、『某教団破門歌集』 などに置いた MIDI ファイルや、伝統的学校歌の MIDI ファイル (『寮歌に関する極私的妄言部屋』 の残骸) など、個人的に気に入った 「団体歌」 を一覧にして陳列しております。敬称略。

一応、JASRACの管理楽曲はないはずですが、 問題がありましたら ご意見フォームで筆者までご連絡ください。直ちに掲載中止します。


< 伝統的学校歌 >  (歌詞は載せません。和音は勝手に付けました)

曲名作詞者作曲者その他曲情報
ああ浅春野村正樹旧制甲南高校逍遥歌。昭和11年。ゆっくりと静かにうたう歌です。
嵐劈く不明不明関西大学逍遥歌。年代不明。歌詞は大学OBのサイトで。
瀛州離歌16回文卒合同旧制成城高校寮歌。昭和19年。送別の歌です。芦屋寮歌祭ではメロディーが多少違う?
朧ろの空は石田謙一郎椎木福蔵北九州市立大学逍遥歌。年代不明。歌詞は後援会のサイトでどうぞ。なお、後援会サイトでは、作詞者は谷口政彦氏、作曲者は不明になっています。
銀鞍花に田中良之助坂 照雄旧制京都府立医大予科「希望歌」。大正10年?。最近は寮歌祭で聴ける機会が増えてきました。12番まであります。作者は別説もあり。
雲にうそぶく福田美亮浜 徳太郎旧制松本高校寮歌。大正10年。高原の学校が生んだ明るい寮歌です。もっとゆっくりした曲かも。
此処城北に中村行男松川圭一旧制大阪経専逍遥歌。昭和23年。歌詞は大阪経済大のサイトで。9番まであります。
古都の春葉石津邦昭西脇正臣同志社大学逍遥歌。成立年不詳。歌詞は同志社大学のサイトで。しみじみとした名曲です。一部原曲と異なるかも。
商神忠田兵造米田虎之助旧制官立神戸高商校歌。明治39年。今も神戸大学で歌われています。
角笛平林新一郎不明旧制山梨県立高校 望岳寮寮歌。昭和22年ごろ。戦後廃止された県立医専を改組した 「戦後特設高等学校」。甲信越の山々を望みながら歌った寮歌のようです。
新潮走る(現)南 惣平
宇野操一
不明旧制第六高校中寮寮歌。大正2年。激動の時代を生き抜く決意の歌。好きな歌ですが、旧制卒の人の前では歌いません。
新潮走る(原)南 惣平
宇野操一
不明↑ の原曲版。ほんの少しだけ違います。
白陵歌谷 義衛南 恒郎旧制姫路高校寮歌。大正14年。姫高バージョン。
白陵寮歌谷 義衛南 恒郎↑ の新制神戸大学版。神戸大姫路分校にいた私の父が歌うのもこちらのバージョン。もっとも、最近の応援団は、姫高バージョンで歌っているらしい......。
春寂寥吉田 実浜 徳太郎旧制松本高校寮歌。大正9年。もっとも感傷的な寮歌。関西寮歌合唱団風版。
春残更井川洋一旧制(東京)都立高校第八寮歌。昭和20年。帝都大空襲後の寮歌。大変難しい歌詞です。
春筒台に(現)井上貴與記不明旧制官立神戸高商寮歌。大正3年。明るい寮歌です。これは現行版。
春筒台に(原)井上貴與記不明↑の原曲版です。少しだけ変化していることがわかります。
春洛陽の花霞古川勝弘中村 泰旧制廣島高校惜別歌。昭和15年。恐らく最も悲しい旧制寮歌。原曲とは多少異なっていると思います。
人の世の斉藤宗吉
(北杜夫)
松尾先見旧制松本高校寮歌。昭和21年。歌詞は、『どくとるマンボウ青春記』参照
緑の丘邊守随 一吉田信俊旧制浦和高校寮歌。大正12年。これは芦屋寮歌祭版。少し跳ねています。
武蔵讃歌長崎太郎田中規矩士旧制武蔵高校。昭和2年。これは日本寮歌祭風、前奏付きフルコーラス版。
八雲が丘岩沙慎一大谷鉄弥旧制(東京)府立高校逍遥歌。昭和7年。一度女声コーラスで聴いてみたい。(注) 都立大(現・首都大)の学生歌とは別の歌です。
夕月淡く不明不明立命館大学寮歌。成立年不詳。いいなあ、寮のある学校は。
夕暮るる工藤友恵浜 徳太郎旧制松本高校逍遥歌。大正9年。本当は、もっとゆっくり歌う歌かもしれません。

< 宗教歌曲 >  (歌詞は載せません。和音は勝手に付けました)

「他教はすべて邪教」 とする教団が多いので、ここに他教団の歌と一緒に並べたり、非信者の私が掲載するのは 「冒涜」 に当たるのかも......。冒涜の意図はございません。

歌名作詞者作曲者その他曲情報
悩める旅人
A Poor Wayfaring
Man of Grief
James Montgomery
(1771-1854)
George Coles
(1792-1858)

キリスト教の賛美歌。日本語では、歌っているのはモルモン教会 (末日聖徒イエス・キリスト教会) だけのようです。モルモン教開祖の死の直前に歌われた歌だったそうで。歌詞は、Google などで検索してください。
主人公 「私」 の人生に度々現れる謎の旅人 (というより行き倒れっぽい人)。食べ物がなかったり、力尽きて泉の水も飲めなかったり、嵐の晩に家に来たり。その度に 「私」 はつい彼を助け、逆に癒されます。最後に彼は反逆罪で投獄され、弁護した 「私」 も死に直面。すると彼は俄に正体を現し..... (実はキリスト)。

主よ、わが光に
O Lord Be Thou My Light
Ira D. Sankey?
(1840-1908)

キリスト教の聖歌(?)。賛美歌作者 Ira David Sankey によって作られたらしい、としかわからない謎の歌。歌詞初行は 「The darkness is low'ring o'er me」(闇は我が上に垂れ込め)。歌の主人公は暗闇の中にあって叫びます、「主よ、私の光になってください!」 と。晩年に失明した Sankey の叫びかもしれません。20世紀初頭のアメリカではポピュラーだったようで、インターネットの検索では何人かの歌手による録音がヒットします。しかし、歌詞を載せている網頁は皆無で、埋もれてしまった歌のようです。

主のみたまは
火のごと燃え

The Spirit of God
William W. Phelps
(1792-1872)
不詳

モルモン教 (末日聖徒イエス・キリスト教会) の賛美歌。改まった儀式でよく歌われる曲のようです。「みたま (御霊)」 とは聖霊を指し、西暦1世紀のペンテコステの日に、神の聖霊が火のような姿で信者に降った故事が元ネタ。(歌詞は、当時の教会が現代に復興したのだ、と主張)
1844年頃に信者が出版した賛美歌集に登場した曲ですが、作曲者は不明のままとされています。厳かで、かつ明るいメロディーです。MIDIは、ほぼ楽譜通りの和音になってしまいました。

恐れず来たれ、聖徒
(聖徒よ、よろこびもて)

Come, Come, Ye Saints
William Clayton
(1814-1879)
英国民謡?

モルモン教 (末日聖徒イエス・キリスト教会) で最も有名な賛美歌。1846年、迫害を逃れ、西部の新天地を目指す信者たちの旅の途上で生まれた歌です。信者への励まし、神への信頼、決死の覚悟が歌われています。開拓者精神が受けたのか、プロテスタントの賛美歌集にも載っている場合があります。日本基督教団の 『讃美歌第二編』 にも、「聖徒よ、よろこびもて」(187番) として載っていました。小林望氏による訳詞は、Joseph F. Green (1924-) の改作版に基づくようで、モルモン教版とかなり異なります。
当時の福音唱歌 「All is Well (すべては善し)」 の替え歌で、作曲者は不明です。MIDIは、和音を多少変えましたが、オリジナルの方が良く聞こえます......。

わが牧者
My Shepherd
Harriet C. Swan

"ものみの塔"教団 (エホバの証人) の賛美歌。1924年 [大正13年] 作。現在も歌われていますが、曲・歌詞ともにかなり改作されています。旧約聖書 詩編23編に基づき、神エホバを自分の飼い主として崇める歌です。現在は作者名は伏せられています。前奏・間奏付き、フルコーラス版。

丹心歌
단심가
Tan Shim Ga
鄭夢周/정몽주
(JEONG Mongju,
1337-1392)
不詳(韓国人)

統一教会 (世界基督教統一神霊協会) の成約聖歌。作詞者は信者ではなく、韓国の歴史上の人物です。高麗王朝が倒れ、新王朝の李氏朝鮮が建国された時、高麗王朝の忠臣 鄭夢周は新王朝への翻意を拒み、この歌によって前王朝への忠義を明かした、といいます。「何度死んでも、骨も魂も消え果てても、誠は変わらない。」
曲はおそらく韓国人による作曲ですが、読み人知らず扱いになっています。MIDIのメロディーラインは米国版歌集より。このような裁判記録にも登場

栄光の賜物
영광의 은사
Blessing of Glory
文鮮明/문선명
(Sun-Myung MOON,
1920- )
不明

統一教会 (世界基督教統一神霊協会) の成約聖歌。作詞者は言わずと知れた、教団の創始者です。『聖歌のめぐみ』(天野照枝 著、光言社 刊) によれば、朝鮮戦争中の 1950年11月、文鮮明が収監されていた興南から平壌に戻った頃の作とのこと。栄光の存在 (神?) を称え、「慈愛に応えて新生せよ」、と歌っているようです。メロディーは、教団幹部、金元弼の母校 (平壌師範学校) の校歌の曲が使われ続けています。教団の歌集では、作曲者が記載されていませんが.....。

平壌師範学校校歌葛原しげる
(1886-1961)
梁田貞
(1885-1959)

↑ の元歌。曲のほうの著作権はようやく切れました (梁田貞は JASRACに信託していた人です)。日本統治時代の平壌府 (へいじょうふ、今のピョンヤン市) にあった学校の校歌で、なかなか詳細が分かりませんでしたが、韓国の古本サイトウェブ魚拓)でようやく楽譜・歌詞の画像を見つけました。大同江の流れに不断の研鑽を、牡丹台 (牡丹峰) からの眺めに至誠の一生を誓う歌詞です。大日本帝国万歳(笑)!

威風堂々の歌大橋幸栄不明

創価学会の代表的な学会歌。1955年 [昭和30年] 作。元は京都地区の地区歌。きわめて戦闘的な歌詞で、事実上、軍歌です。当時の信者の間で非常に好評で、歌詞を一部変えて全国で歌われるようになったといいます。しかし、「北山南河は邪宗の都」(第三節) などと、京都を特定する歌詞も残っています。
創価学会の公式頁で歌声が聴けるほか、学会員による数多くの網頁に立派な MIDI があります。

桜花爛漫の歌不明不明

創価学会の学会歌。元は旧制大阪商科大学予科逍遥歌。1969年 [昭和44年] から学会歌になっているようです。「桜花」・「健児の意気」・「常勝の名」・「天下に…仇あらじ」 あたりがキーワードだったのでしょうか (何の?)。元の歌のうち、1番、2番、4番が歌われています。フルコーラス版MIDI。

桜花爛漫不明大島正満
(原曲)

↑ の元歌、旧制大阪商科大学予科逍遥歌。1929年 [昭和4年] に剣道部歌として作歌。(さらなる元歌は、1916年 [大正5年] 頃作られた旧制大阪高商相撲部応援歌 『芳葩爛漫』。遊閑斎さんによれば、メロディーの原曲は旧制第一高等学校寮歌 『平沙の北』。作曲者の大島正満は魚類研究で知られた人です) 寮歌祭では、元の歌のうち、1番、2番、3番が歌われています。


< 某教団破門歌集 >  (歌詞は専用ページで

"ものみの塔" 教団に廃止されてしまった曲です。

歌名ひとこと
1966-2番.シオンよ、光を放て!イザヤ書60章より。シオニズムとは無関係で、教団礼讃の歌。
1966-3番.王キリスト・イエスは招く勇壮な行進曲。1928年版歌集にすでに載っていました。
1928-10番.いざ立て聖徒ら↑ の原曲。1928年版歌集より。Jessie G. Herr 作詞作曲。
1966-17番.信仰に強くあれ!イザヤ書40章より。愛好者の多かった歌。
1966-40番.暗き地にある良き希望下の 1966年版 100番に似ている。
1966-50番.エホバの属性荘厳な小曲。
1966-54番.エズラを忘れるな!後半の半音階が歌いづらかった曲。
1966-60番.「わたしとわたしの家の者とは」私はこの曲、嫌いだった。まあ、資料として。
1966-79番.「神のものは神に返しなさい!」この教団の曲、こういう和音進行が多い。
1966-100番.神の書 − 貴重なもの愛好者が多かった曲。独特の聖書観が歌われている。
1966-102番.『神の家の山』で崇拝する某教団には珍しい 3/4 拍子の曲。難しい曲だった。
1966-114番.シオンよ、覚めよ!イザヤ 62章より。これも教団奮起の歌。
1966-116番.クリスチャンの戦士行進曲。1984年版の新歌集にも似た曲が載っているので、消えたことにだれも気付いていない?

< 番外 >

曲名ひとこと
インターナショナルディジェイテル(と読むのか?フランス人)作曲の人民団結の歌。これは某ページにあったロシア語リアルオーディオファイルから MIDI 化しています。
青葉の笛大和田建樹作詞、田村虎蔵作曲の唱歌。滅びしもののあわれ。
茅渟の浦曲を漕ぎ回みて田村真人作詞、和田良平作曲。昭和28年 [1953年] 制定。母校(新制高校)の逍遥歌。私が生まれて初めて聴いた "逍遥歌"。「ちぬのうわらをこぎたみて」 と読みます。

えんたろうつうしん表紙極貧 MIDI 陳列所


Copyright (c) 1996-2010 Entaro NAGATANI, JAPAN.
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