( 昭和14年 旧制大阪商科大学予科 )
伊達 陽 作詞
松川 清 作曲
<壱> |
<弐> | ||
<参> |
<四> | ||
<五> |
出典: 『日本寮歌集』(日本寮歌振興会 編、1992年版)などを参考にしています。
なお、漢字表記・振り仮名は現代のものに改めてあります。
作詞者 伊達 陽氏は当時の旧制商大予科の一年生。
伊達氏はのちに会計士として活躍し、晩年は下関市立大の会計学の教授を務められました。 平成8年 [1996年] 4月27日逝去。作曲者 松川 清氏は伊達氏と同じクラスの学生でした。
学部卒業後、某放送局に入社しますが、レッドパージに遭い、その後は税理士として活躍されたといいます。 平成11年 [1999年] 4月6日逝去。著作権はまだ存続しています。ただし、JASRACの管理楽曲ではありません。 抗議・ご意見はこちらへ。
なおこの歌は、新制大阪市立大学でも 『血盟歌』の名で、応援団によって演舞付きで歌われています。 (1番を1分半ほどかけて歌う、"長嘯"式です)
この歌は、昭和14年 [1939年] に予科一年B組のクラス歌として作られたものです。
当初は旧制姫路高等学校の 『白陵歌』(谷義衛作詞、南恒郎作曲) のメロディーで歌われていた、といいます。 そのため、歌詞にも 『白陵歌』 の影響が強く表れています。新制大阪市立大学では、「三年(みとせ)」を「四年(よとせ)」と歌い替えています。
"嗚呼感激の春の宵" - 『白陵歌』1番、「ああ白陵の春の宵」 より。
"緑杯(りょくはい)" - 澄んだ良質の酒の入った杯。宴会を表します。
"若き希望に溢れつゝ 青春の児は乱舞する" - 『白陵歌』2番、「高き希望にもゆるとき 情熱の児は乱舞する」 より。
"三年の契り いや深し" - 『白陵歌』3番より。
"ミネルヴァの森に啼く叡智の鳥" - ふくろう。
"九天(きゅうてん)" - 最も高い天。
"惜春の譜を奏でつゝ" - 『白陵歌』1番、「惜春の譜の流れ来て」 より。
"東大陸" - おそらく中国大陸。 作詞者らは、当時の 「八紘一宇」・「大東亜共栄圏」 宣伝を信じていたのかもしれません。 "経綸の業"とは、それを指しているとも考えられます。