( 旧制大阪商科大学予科 応援歌勝利の歌 )
作詞者、作曲者 不詳
(曲は 『星落秋風五丈原』 による)
<壱> |
<弐> |
<参> |
<四> |
<五> |
出典: 『大阪商科大学愛唱歌集』(有恒会 編、1990年)などを参考にしています。
なお、漢字表記・振り仮名は現代のものに改めてあります。
作者は不明です。
戦前の旧制大阪商科大学予科の陸上競技部・相撲部で歌われていた、ということと、
姉妹校の天商(現・大阪市立天王寺商業高等学校)でも歌われてきたらしい、ということしか判明していません。
両校が隣接して建っていた、烏ヶ辻時代(明治44年 [1911年] ~昭和9年 [1934年])の作と考えられます。曲は、土井晩翠氏の詩 『星落秋風五丈原』 に付けて歌われた曲を流用してるようです。作曲者は不明です。
なお、2番の 「陸の技」は、相撲部の応援歌として歌うときは 「撲の技」になります。原曲(諸葛孔明を題材にした歌)と同様、かなり漢文の影響を受けています。漢語が多くて、私にはよく意味がわかりません......。
"九霄(きゅうしょう)" - 九天。もっとも高い天。
"利刀朽敗三百年(りとうきゅうはいさんびゃくねん)" - この歌が作られる300年ほど前には、豊臣家が滅んでいます。(1614年)
"城南" - 大阪城の南の地域。当時の大阪商科大学は、 桃谷("桃渓(とうけい)")・烏ヶ辻("烏丘(うきゅう)")にありました。
昭和9年頃、烏丘から大阪市の南の端("香陵" 近くの浅香山のこと)に移転しています。"河北原(かほくげん)" - 本来は、中国・黄河の北の平原のこと。ここでは、大和川の北の平原(学舎)のことを指すようです。
"淀(よど)" - 淀川。滋賀県民・京都市民の排出したものが流れていますが、大阪市民・阪神間住民の重要な水源です。
"青史(せいし)" - 歴史。