表紙に戻る

大阪市歌

堀沢周安 作詞
中田 章 作曲

(大正10年3月制定)


| PNG 楽譜 | 極貧 MIDI |

<壱>
高津の宮の昔より
代々 (よよ) の栄 (さかえ) を重ね来て
民のかまどに立つ煙
賑いまさる大阪市
賑いまさる大阪市

<弐>
難波 (なにわ) の春の朝朗 (あさぼらけ)
生気 巷 (ちまた) にみなぎりて
物みな動く産業 (なりわい)
力ぞ強き大阪市
力ぞ強き大阪市

<参>
東洋一の商工地
咲くや木 (こ) の花 魁 (さきが) けて
四方 (よも) にかおりを送るべき
(つとめ) ぞ重き大阪市
務ぞ重き大阪市


出典: 『大阪商科大学愛唱歌集』(有恒会 編、 1990年)などを参考にしています。
なお、漢字・かな表記は、現代のものに改めてあります。



表紙に戻る


[ 注 記 ]

<著作権について>

作詞者 堀沢周安(ほりさわ・ちかやす) は 明治2年 [1869年] 愛知県生まれ。国文学に篤く、四国の旧制中学などの教諭を務めた人です。代表作に 『明治節』(昭和3年 [1928年]。杉江秀氏作曲) があります。昭和16年 [1941年] 死去。

作曲者 中田章(なかだ・あきら) は 明治19年 [1886年] 生まれの音楽家。代表作に 『早春賦』(吉丸一昌氏作詞) があります。 昭和6年 [1931年] 死去。

すでに著作権は消滅していると考えられます。


<歌詞について>

一番の歌詞は、仁徳天皇の故事に題材を得ています。ある日 天皇が都(難波京 = いまの大阪)の様子を見ると、家々から炊事の煙が立ち昇っていない。重税が原因で民が食事にも窮しているのを悟った天皇が 暫時 税を免除する徳政を行なったところ、また民の家々に煙が戻った、 ということです。

"高津の宮(たかつのみや)" - 仁徳天皇の皇居。今の大阪市中央区法円坂の辺りにありました。

"民のかまどに立つ煙" - この歌が作られた当時は、大阪には工場から出る石炭の煙が充満していたようです。旧制大阪高等商業学校の校歌 『夕古城を仰ぎ見て』  の2番でも、煤煙が歌われています。

"難波(なにわ)" - 大阪。説明不要?

"東洋一の商工地" - 戦前は、そういう時代があったようです。

"咲くや木の花" - 古今和歌集・仮名序の  「難波津に咲くやこのはな冬ごもり いまは春べと咲くやこの花」 によります。花は梅の花です。 3番の歌詞は、大阪が文化発信の中心となることを歌っていますが、大阪が発信している文化って、ろくなもんじゃないですな。


表紙に戻る

Entaro NAGATANI, 1998-2006.
ご意見はこちらへ