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『伝統的学校歌に関する極私的妄言部屋』 は、1996年12月3日に 『寮歌の極小部屋』 の名で開設されました。 元々は旧制高等学校の 「寮歌」 のファンサイトでした。
寮歌とは、旧制高等学校の出身者たちによって作られ、歌い継がれ、守られてきた偉大なる遺産ですが、1996年当時、旧制高等学校が廃止されてから早 46年が経過、最も若い旧制関係者でも 60歳台、という状態であり、私 (当時 25歳) は大変な危機感を抱きました。
何しろ、某最難関帝大系大学の学生までが、逍遙歌 『紅萌ゆる』 について珍解釈を垂れる時代 (WebArchiveより) なのです。
「寮歌を消してはならない。今そこに滅びようとしている寮歌を、ネットを使って私と同世代の人々にも知ってもらいたい」 と、大それた意気を抱いて開いたサイトでした。
若気の至りの一言です。そんなことは、旧制高校レベルの頭脳を持つ、帝大系大学の出身者に任せておけば良かったのです。某K戸大受験すら諦めた、私の頭脳の程をわきまえるべきでした。
当時はインターネットが商用公開されてからまだ 3年。寮歌に関するページは皆無に近い状態でしたから、サイト作りは手探りでした。
東京・日比谷公会堂の 「日本寮歌祭」、大阪・中之島公会堂の 「全国寮歌祭」 などの、一般人が無料で見物できる寮歌祭がまだ健在でしたから、「寮歌祭でホンモノの寮歌に出会え!」 と勧める内容が中心になりました。
自ら旧制世代に混じって寮歌祭の舞台に上り、(特に旧制六高あたりに露骨にイヤな顔をされながらも) 共に歌う、という冒涜じみたことも行い、レポートをサイトに掲載したこともありました。
しかし、私の目的に反し、同年代の人からの反響はほとんどありませんでした。(遊閑斎さんぐらいかな)。
頂いたメールの大半は、私より遙かに年長の方々からのものでした。寮歌祭にも、若い人は (拓殖大・早稲田・皇學館など、同窓会の方針として参加しているところを除くと) 来ませんでした。そして、一般人にも見物可能な寮歌祭は、参加者の高齢化を理由に次々と終焉を迎えたのです。
寮歌のサイトは増えましたが、殆どが高齢者によるサイトです。北大以外の寮歌が滅びるのは、もはや時間の問題でしょう。
無力な 10年でした。このサイトにあるのは、その敗戦の記録の残骸です。
そして、去る 2006年 3月4日、本郷・東大安田講堂地下の寮歌祭会場に足を運んだ際、ようやく ハッ と我に返りました。
私は生まれてから一度も、「東大に入って国家を背負って立つ人間になろう」 などと考えたことがありません。目指したのは、せいぜい K戸大出身のサラリーマンまでです。
寮歌とは、本来は国家の指導者たるべき志を持った人が歌う歌なのです。私は、己の不明を恥じ、寮歌祭から足を洗いました。
今の私は、寮歌には一旦滅びてもらって、後から発掘する方がよいのではないか、と思っています。今 寮歌祭で歌われている寮歌はご老体の寮歌であって、「本物の」 寮歌とは限らないのですから。
「寮歌」 が昔の学生の切磋琢磨の中から生まれた、素晴らしい遺産であることは否定しません。しかし、当サイトでは、「寮歌」 という言葉を使うのを避けていきたい、と考えております。
その理由は、「改めて、『寮歌』 とは何か」 (2002年 3月11日最終更新) の中でも書いた通り、多くの私立学校の寮歌は正真正銘 「寮の歌」 なのに寮歌祭で歌われず、逆に、寮の無い学校で作られたにもかかわらず旧制高校の歌という理由だけで 「寮歌」 として扱われている歌があるなど、「寮歌」 という言葉自体の意味が歪められて通用しているためです。
もちろん、旧制高校というものが無ければ、「寮歌」 は生まれなかったでしょう。だから、「寮歌」 = 「旧制高校の歌」 という等式は、その歴史を考慮すれば仕方のないことです。
しかし、「寮歌祭」 と銘打つ祭典が、旧制高校以外を排除したり (実例: 多くの 「白線会」 主催の寮歌祭)、旧制高校の後身校の出身者・寮歌愛好者を排除したりしている現状では (実例: かつての仙台寮歌祭) 、「寮歌」 という言葉に排他的な響きを感じざるを得ません。
私は、"旧制高校の 「寮歌」 は自ら滅びることを望んでいる。滅びるに任せよう"、と感じています。