[ ご注意 ]
これは、私の個人的な記録です。
1997年8月に観たものを 1998年1月に書き起こしていますので、展示内容などは大分記憶違いがあるかもしれません。ご容赦ください。
山を目指す若者でごった返すJR松本駅。「旧制高校記念館」へは、東口から出ます。
駅前の観光案内所でイラストマップをもらい、東へまっすぐに伸びる 「駅前通り」 をひたすら歩きます。約 2km。関西よりマシとはいえ、松本もけっこう暑かったです。
歩くなら、春か秋にしましょう。
(バスに乗って 「松南(しょうなん)高校前」 停留所で降りるのもいいでしょう。)
やがて、道の突き当たりに 黒々と繁る森が見えてきます。これこそ、目指す記念館のある 「あがたの森公園」 です。公園の入り口に、 薄緑色に塗られた旧制松本高等学校の校舎が見えてきます。記念館はそのすぐ奥(東隣)にあります。
まずは、旧制松本高等学校の校舎に入ってみることにします。6月~9月は、旧制高校の特別展が開かれているからです。
写真をクリックすると、より大きな画像を呼び出せます。(JPEG, 約 58KB)
薄緑色の木造校舎は、ヒマラヤ杉の巨木に覆われるように立っていました。いまは地域の公民館になっていて、市民に親しまれています。 でも私はなぜか、昔の警察署を連想しました。玄関が建物の角の部分にある構造が、その連想の原因かもしれません。
入り口には、「旧制高等学校記念館特別展」との立て看板が。重厚な雰囲気の敷居をまたぎます。
会場は2階とのこと。正面の黒光りする立派な階段を昇ると、途中の踊り場に墨書きの看板が。曰く、「手摺りの彫刻は まさに芸術品 !!」 天井からは、年代物のシンプルなシャンデリアが吊り下がっています。
階段の上で、旧制松高生マネキンと 高知高校の大太鼓が出迎えてくれました。
写真をクリックすると、より大きな画像を呼び出せます。(JPEG, 約 36.5KB)
会場は、いくつかの教室を使っていました。丁度、高校の文化祭みたいな感じです。観客は、......予想に反して結構います。ざっと15人。夏休みの日中ですので、学生風の男や、散歩がてらに覗いていく主婦もちらほら。
今回の出展は、七年制高等学校 および 高知高等学校・静岡高等学校 でした。
「七年制高等学校」は、東京高等学校、武蔵高等学校、成蹊高等学校、成城高等学校、府立高等学校、富山高等学校、浪速高等学校、甲南高等学校、台北高等学校、の9校。
旧制高等学校制度本来の姿なのだそうで、数の上では大勢を占める三年制高等学校は、元来は特例とのこと。東京・台北を除くと、みな公立・私立です(富山はのち国立)。
七年制の諸校の展示は、富山高を除くとあまりバンカラな匂いがしません。寮が無かった学校もいくつかあり、都会の学校、という雰囲気です。
例えば、旧制浪速高の学園祭のパンフレットなどは、阪急電車(関西では高級イメージが定着。イメージだけね)の駅に貼っても大丈夫な(?)モダニズム調。近所のタカラヅカの影響でしょうか?
旧制甲南高の展示には、平成7年 [1995年] の阪神・淡路大震災で被災した旧制本館(新制大学1号館)の写真もありました。私は、震災の2年前に見たのが最後でした。表面のコンクリートが割れ、はらわたを見せる車寄の柱。 隣には、創建時の外観そのままに再建された本館の写真。震災と復興というテーマは、甲南高の展示のかなりのボリュームを占めていました。
この甲南高やほかの私学の展示には、現代の新制学園のPR、という側面も見えました。
学制改革で旧制高校は消滅しましたが、国公立と違って私学は、創建時からのポリシー・独自性を(少なくとも観念的には)継続することができている訳です。
ただ、若年世代の減少が続いている今、私学はあらゆる機会を利用してPRに努めなければならない、という理由もあるでしょう。学園案内のパンフレットが積まれていたりしました。
(遺憾ながら、私も若年層減少に拍車をかけさせていただきます。子種は、ありません。たぶん)
打って変わって、旧制高知高・静岡高の展示は、待ってました! という感じでした。
特に高知は、あの『豪気節』の本家。もちろん、歌詞も展示されています。校訓は、「感激なき人生は空虚なり」! 展示もバンカラ。
しかし、空襲で焼けた校舎・寮を募金までして再建した、という話には、その熱意に感服するとともに、悲しいものを感じました(まもなく学制改革で廃止されてしまいましたので......)。
『特別展』の模様は、この辺で置いておきます。
窓の外は、うすぐもり。中信高原の山々も、白く霞んでいます。
北側に隣接の講堂は、改修工事中で満足に近づけませんでした。青い養生シートに一部が覆われていますし、写真は諦めました。
(入り口の階段に、地元の女子高生数人が坐り込んでダベっていたので近寄りにくかった、というのもあります)
写真をクリックすると、より大きな画像を呼び出せます。(JPEG, 約 47KB)
旧制松高校舎の東隣、かつて思誠寮の存在していた場所に記念館はありました。レンガ風のタイルを貼った、鉄筋コンクリート造の現代建築です。
入り口の自動ドアをぐくると、"無料展示" コーナーが左手に。このときは 「旧制高校生と試験(テスト)」 なる展示でした。ここは、入館料を払わなくても観られるようです。 覗くのは後にして、まずは受付へ向かいます。
受付では、受付嬢(?)が客と談笑中。客は、どうやら "旧制高校マニア" の大学生らしい。服装が往時のいわゆる "ヲタク" そのもの。私も似たようなものですが。とりあえず話が終わるのを待って、入場料 310円(当時)を払い、2階の "有料ゾーン" へ。
館内には、加藤登紀子氏の寮歌が静かに流れていました。
展示は、2階と3階に分かれていました。2階は旧制高等学校全般の資料を、3階は旧制松本高等学校関係の資料を展示していたように思います。
内容はかなり詳細です。
旧制高等学校の旧学制上の位置づけ、その時代的変遷。これは難しいのでよく覚えていません。解説は、遊閑斎さんにお任せすることにします。
校舎の建築様式変遷の総括もなされていました。
展示によれば、明治時代の校舎は、左右対称なファサードの中央に玄関がありました。非常に権威的な印象を与えます。(例: 旧制第五高等学校。)
大正時代に入ると、大正デモクラシーの影響か、文部省の意向で "地域に親しまれる" ことをめざした様式の校舎になります。この 旧制松本高等学校校舎もそうですが、L字型もしくはコの字型校舎の角の部分に玄関が設けられるようになります。 新潟、山形、佐賀、松江など、地名校の多くの校舎がこの様式ですね。
展示の続きには、大正後期にはまた明治型校舎の変形が登場した、とあります。ただ、玄関は通り抜け型にするなど、あまり極端に重厚にならない工夫がなされている、とのこと。 そういえば、旧制姫路高等学校の校舎も正面中央に玄関はありますが、向こう側が見えるタイプです。
文学者と旧制高校の寮との関係コーナーもなかなか興味深かったです。覚えているのは、川端康成氏と堀辰雄氏だけですが。
堀氏は、寮で "薔薇族の世界"(と片づけておこう) に目覚めてしまいます。罪深いなあ、寮は。 一方、川端氏のほうは、寮で薔薇族趣味に目覚めることなく、無類の女性好きの道をその後も邁進することになります。(大文学者2氏をこんな風に書いてしまってよかったのだろうか。抗議は、受け付けません)
旧制松本高出身の北杜夫氏についての言及が少ないのが気になりましたが、実は3階の松高コーナーにありますので大丈夫。
3階に上がります。一角に、旧制松本高等学校関係の展示があります。待望の北杜夫氏関係資料も。そして、『どくとるマンボウ青春記』にも登場する名物教授の「ヒルさん」コーナーも。 寮の一室を再現したコーナーもありました。匂いはしないので大丈夫です。(本当は凄かったんでしょうけれど。)
あとは、読者の皆さんにも実際に記念館に行って観ていただきたいので、書かないでおきます。(忘れた、という理由もありますが......)
最後、2階のソファーに戻ってゲストブックを読んでみました。
やはり、「ヒルさん」、大人気ですね。男性にも女性にも。「会いたい」と書いている人が何人もいます。旧制松高生マネキンも若い女の子に人気です。
おお、旧制神戸商業大学予科御一行(『瀬戸の浦波』作曲者を含め5,6人)も数日前に来ておられる。
旧制商大予科は正統の旧制高校ではないので、この記念館に展示はありません。が、ずっと流れている加藤登紀子氏のCDには『瀬戸の浦波』も入っていました。
本当に、全国から見学者が集まってきているようです。
見学を終え、1階の受付で旧制高等学校グッズを見ることにしました。残念ながら、私にはあまり小物を集める趣味がないのでよく覚えていません。 結局、あの『日本寮歌大全』があるのに目が行き、その場で購入してしまいました。(とても重くて後悔。本当は、版元の国書刊行会に電話で申し込めば送ってもらえるはずです。)
ともあれ、「ヒルさん」の写真も拝めたし、念願の書物も手に入り、満足して記念館を後にしました。
本当は、『どくとるマンボウ青春記』のメイン舞台になった「西寮」の跡も探しに行きたかったのですが、前の晩に野宿(宿を予約していなかった)したのと重い本を買ったのが祟り、 気力が持ちませんでした。あがたの森の夜は、寒くて鳥が騒がしかった。さらば。「西寮」は南松本の駅で降りた畑の中に石碑が残っているはずです。(10年くらい前に何かの雑誌に載っていました。)