これは、1997年5月17日に大阪で開催された『全国寮歌祭』の個人的参加記録です。
主催者である関西寮歌振興会の了承を得たものではありません。
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新緑のまぶしい大阪・中之島。赤レンガの中央公会堂がみごとなコントラストを見せて聳えています。
今日の寮歌祭は、このレトロな建物を会場に行なわれます。
開演は午後1時。まだ時間があります。私はとりあえず昼食を摂ることにして、地下食堂への階段を降りました。
食堂は予想通り満員でした。中之島公園にバラを見に来た主婦やカップル達で席はふさがっています。
これはやられた。淀屋橋でうどんを食おう。諦めて食堂を出た、その時! 見覚えのある人が破帽弊衣の学生服姿で歩いてくるのに出会いました。高下駄まで履いています。年齢はおよそ 65歳か。
私: 「こんにちは!」その人は、旧制O商科大学予科の大先輩のYさんという方でした。Yさんは、本当は私と同じ新制O市立大学になってからの卒業生ですが、 O商大予科の名を広めるべく、全国行脚で寮歌祭に出演している方です。 4月の姫路寮歌祭の席でお会いしていたので、覚えていて下さったようです。うれしいことです。
その人: 「こんにちは! ......おや、姫路のときの君か。よう来てくれました。
O商大は3時に集まって歌の練習をするから、よろしく。」
私: 「それでは、わたしはこれから食事しますので......」
その人: 「そうですか、......ではまた3時に」
食堂では食事し損ねたので、外に出て時間をつぶしました。続々と学生服姿の大先輩方が集まってくるのが見えます。
12:40、もう入場受付は始まっていました。公会堂の正面に「入場無料」の札が掲げられています。
中に入ってみましょう。
受付は、各学校ごとの窓口に分かれています。なんと、受付嬢は女子高校生?です。
一般の方用の受付は、正面に設けられています。私は旧制O商科大学予科の名義で出演を申し込んでいましたので、旧制各校の窓口で受け付けてもらいました。
受付の周りには、寮歌カセットテープ・書籍の販売コーナーや、舞台写真の申し込み窓口などが並んでいます。カセットテープは、毎年ニューアルバムが発表されていますので、
興味のある方は「寮歌祭」会場で購入してみましょう。
客席に入りましょう。まもなく、開会宣言です。
公会堂の2階席から、各校自慢の旗が色とりどりに垂れ下がっています。競馬場のパドックの周りを連想する人もいるでしょう。(←いない、いない)。 受付で受け取ったパンフレットを開きます。うれしいことに、来年(1998年)も この中央公会堂が会場として使える旨書かれていました。大阪市の財政事情で、改修工事が延期になったとか。
やがて天井の照明が消え、舞台の幕が上がりました。開会宣言です。
来賓は、「日本の高等教育を考える会」の事務局長氏でした。氏の著書が受付の周りで頒布されていたのをこのとき思い出しました。磯村大阪市長は超多忙につきご欠席とのこと。 なお、姫路の寮歌祭のような凝った開会宣言ではありませんでした。さあ、いよいよ各校の熱演が始まります。
なんと、いきなり旧制新潟高等学校・松本高等学校・富山高等学校がトリオで登場です。名曲揃いです。特に、旧制松本高等学校の出番には、テーマ音楽が流れてしまうからすごいです。(←プロレス流?) 舞台が始まると、場内の照明が一段と落とされました。このカメラだと撮影は無理だ、と早々に諦めます。(それで、今回はあまり写真がありません。すみません。)
いざー うたわんかな、アイーンス、ツヴァーイ、ドライ!来た来た、この渋茶色の蛮声の響き。轟く太鼓の音。窓という窓に黒いカーテンが下ろされているので、アングラな雰囲気さえ漂ってきます(←ここが東京の寮歌祭と少し違うところ)。
響き渡る蛮声に釣られてか、金髪の外国人がカメラを肩に客席へやってきました。案内の方々(旧制卒)が何やら日本語で応対していました。日本の祭に関心のある人だったようです。
どなたか、英語(または他の外国語)で寮歌を世界に広めてくださいませんか。
ともあれ、入場フリーなので、いろいろな人が寮歌を聞きに来ます。それを見ているだけでも楽しいですよ。
開演1時間あまり経過。舞台を見ると とても出演者の多い学校が。旧制大阪高等学校(現・大阪大学)です。その数ざっと 50人。さすがは地元です。歌うは、おなじみ「ああ黎明は近づけり」。 東京の寮歌祭ではW高等学院が大人数で出場してきますが、似た感じです。同じく大阪を拠点にしている わがO商科大学予科も負けてはいられません。まだ4時の出番まで2時間近くありますが......。
約束の3時が近づいてきました。と、場内に "軍艦マーチ" が流れ始めました。全国寮歌祭名物、「六魁(ろっかい)倶楽部」の登場です。
戦前の「外地(朝鮮、台湾、満州)」にあった6校が結成しているクラブです。今年(1997年)は倶楽部結成15周年とのこと。残念ながら旧制満州医科大学予科はお休みでしたが......。
特別演出ということで、パンフレットに載っていない歌ばかり披露してくれました。
ああ、時間が迫ってきました。名残惜しいですが、O商科大学予科が集結している楽屋へ行かなくてはいけません。
2階の通路から1枚(JPEG, 26.0KB)
「楽屋」は3階の小集会室でした。そこにはわがO商科大学予科のほかに、一緒に出演する東京商科大学予科(現・一橋大学)と神戸商業大学予科(現・神戸大学)のメンバーも集結していて、その数ざっと 70人。例の大阪高校より多いかも。 その皆さんが、或るは談笑し、或るは酒宴を開きながら、歌唱練習の始まるのを待っているのでした。私は、知っている人がいないか探し始めました。あまりに、心細いのです。
そこへ、先ほどのY大先輩ご登場。「こっちやで、こっち」とおっしゃる方に向かうと、そこには姫路でお会いした皆さんが集まっておられました。そして、いろいろなお話をお伺いしました。 (ここには書けません。すみません。)
明らかに若い先輩もいらっしゃいました。昭和50年代の卒業生が1人、昭和60年代の卒業生が1人。どうして寮歌祭に来られたのでしょう? 横におられた某大先輩がそう二人に訊いていました。
お二人のお答え:人生、どんなことから寮歌に出会うかわからないもののようですね。
「職場にいる同窓の先輩から頼まれたんです。」
「最近結婚したんですが、義父が寮歌祭好きで、引っ張られてきました。」 (お義父さんもすぐ近くにいらっしゃいました。東京商科大予科の方でした。)
15:30、ようやく学校別に歌唱練習が始まりました。O商科大学予科一同、いつも寮歌祭でプロローグ(前振りのセリフ)を高唱しておられる I 大先輩のご指導を受けました。
I 大先輩曰く、この歌は、作者不詳なので、歌詞を載せました。念のため。
「『桜花爛漫』(逍遥歌の題名)は、格調高い歌です。格調高く歌いましょう。
"おーおかー、らんまん、つきおーぼろー" ......ここまでは、悠然と朗々と歌いましょう。太鼓も手拍子も無しですよ。
"こちょおのまーいをしたいつつー" ......ここからは、手拍子もつけて、軽快に歌いましょう。
それから歌詞ですが、2番の "夜更けて" は、"よるふけて" と歌いましょう。"夜(よ)は更けて" とよく歌われますけどね。(以下略)」
こんな調子で、一同、念入りな歌唱指導を受けて練習しました。
さあ、そろそろ4時になろうとしています。いよいよ出番です。三商大そろって1階の舞台へと向かいます。
舞台では、旧制一高が『嗚呼玉杯』を、旧制三高が『紅萌ゆる』を歌っています。会の進行は遅れているようです。
この超メジャー2校の直後の出番というのも、なかなか大変そうです。
三商大予科は舞台の そでに入って出番を待ちます。一高、三高が万雷の拍手を浴びて舞台を下りていきました。 今年の三商大は、わがO商大予科が一番手で歌います。O商大予科が舞台の最前列に並びました。その後ろに、東京(一橋)・神戸が控えています。
去年(1996年)はここで磯村大阪市長のお言葉があったのですが、今年は代理で関助役のご挨拶がありました。O商大予科としてご出場いただいたようです。 ついで、某大先輩が、大阪へのオリンピック誘致をアピールしていました。
(こんな場で書く話ではありませんが、この某大先輩も、個人的には大阪でのオリンピック 開催には否定的でした。 「そんな施設作っても、(大阪市が財政的に)よう維持せえへん」 という訳です。事実、O商大の後身である新制市立大学も 廃止・短大化の話が出ていたくらい、大阪市にはカネがありません。こういうシビアな見方をしている大阪人はたくさんいます。大丈夫か大阪市!)「うのはな ひらく うつせみに、 ちしおの あらし うずを まく ......」 さきの歌唱指導をしてくださった I大先輩のプロローグが響き渡ります。 「いざ うたわんかな ........ アインス、ツヴァイ、ドライ、サァー !!」
一橋は恒例の 『一橋会歌(いっきょうかいか)』。まずは尺八の妙なる調べが流れ始めました。生演奏です。幽玄な空気が場内に満ちたところで、勇壮に歌い始めます。 神戸と我々O商大も一緒に歌います。O商大のレギュラーメンバーは『一橋会歌』も諳んじているようでしたが、にわかメンバーの私は 1番と2番しか覚えていませんでした.....。 本当は全部で 14番(上4番、中6番、下4番)まであって、そのうち 下の4番だけが歌われているそうです。 話が脇道にそれますが、野球で有名な 新制 東邦高校 [愛知県] の校歌のメロディーは、この『一橋会歌』にそっくりです。運よく東邦高校が甲子園に出場して、運よく校歌が流れたら、聞いてみてください。
最後は神戸。逍遥歌 『瀬戸の浦波』 をしみじみと歌い上げます。今の神戸大学では歌われていないそうですが、とても美しく、しかも覚えやすい曲です。ウワサでは、加藤登紀子氏の愛唱歌の一つらしいです。 三商大の全員が肩を組み合って左右にゆっくりと揺れながら、 "浦波" を表現しました。この光景、今年の姫路寮歌祭でも見たような......。
最後に、恒例の 『三商大ドンブリ鉢』 を全員で踊りながら、ステージを後にしました。 "ドンブリ鉢ァ 浮いた浮いた、ステテコ シャンシャン" とね。満場の拍手をいただきました。
この後、三商大一同は楽屋に戻ったようですが、私は一人客席で寮歌を聴きつづけました。あの旧制姫路高校の 『ああ白陵』 が聴きたかったのです。写真は撮っていませんでしたが......。
旧制広島高等学校の舞台(JPEG, 41.0KB)17:20、ついに、閉会の時間を迎えてしまいました。最後は、全員で旧制第五高等学校(熊本)の『武夫原頭に』を斉唱してお開きとなりました。
O商大予科の皆さんは、この後の懇親会にも出席されるようですので、私も3階の大広間へ向かうことにします。
白線帽に袴姿の元青年たちに混じって公会堂の階段を3階まで上ると、天井の高い大広間に出ました。ここが懇親会の会場なのです。 天井の高い広間にはテーブルが並べられ、各学校ごとに分かれて会食を楽しむ趣向です。学校名の記された札が随所に見えます。 一角には、提灯で飾られた特設舞台が設けられていました。どうやら、そこに上がって寮歌を歌うようです。
O商大予科、O商大予科と唱えながらテーブルを探すと、会場の一番隅にあるのが見つかりました。私も、ご挨拶をしながらテーブルに混ぜていただきます。 先ほどの楽屋に比べて、何か華やかです。そう、女性の皆さんがここには来られているからです。もっとも、平均年齢は 60歳ぐらいですが......。寮歌好きのご主人を持つ奥様方です。
舞台でどこかのエラい方が簡単なご挨拶をしていました。でも、もう各テーブルはビールに日本酒で早々にできあがっています。
わがO商大予科のテーブルも、......。
「あんた小林幸子に似てるねえ」横に旧制K高校のハッピを着た方が来られました。でも、確かにわがO商大予科の方です。こはいかに?
などと某大先輩の声が聞こえたので、ふっとそちらを見ると、隣のおばちゃん(失礼!)に声を掛けておられるのでした。 私は、何を見え透いたお世辞言うとんねん(失礼!)、と思いましたが、すぐに「青春とは、人生におけるある期間を言うのではなくて、心の状態を言うのだ」というサミュエル・ウルマンの言葉を 思い出しました。そう、何歳になっても人間は青春するもののようです。
「最近の若い人は上品やなあ。ワシらのころは......」
また別の大先輩がお話を始めます。
「酔うたら街で無茶やりよった。市電止めよったこともあった。でもな、社会がそれを大目に見とったんや。
『O商大の学生やったら、まあしゃあないな』ってな。」
O商大の学生が相当エリートだった時代があるようなのでした。いまの新制O市立大学なんて、市民でも知らない人がいるのに。
そして、ついに私のような落ちこぼれのOBを輩出するようになってしまった......。
「まあ、時代の違いやな、要は。」
そんなお話を聴きながら食事をしていると、ようやく三商大の舞台の出番が回ってきました。
予告では、わがO商大予科は 『春風匂ふ浅香山』 を歌うはずだったのでは......。
「いや、その歌はみんなよう覚えとらへん。『ドンブリ鉢』や、『ドンブリ鉢』。」
というわけで、三商大予科はまたしても恒例の 『三商大ドンブリ鉢』 を踊りました。皆さん、酔いが回っているので、足元があぶない、あぶない。
来年はもっと舞台を低くしないと、のぼれない人が出てくるかもしれません。
ともあれ、こうして今年の舞台は終わりました。さらに三次会に行く人もいたようですが、私は用事があったので、そこで辞しました。
来年も、このレトロな(死語?)公会堂で『全国寮歌祭』は開催されます。読者の皆さんも、ぜひ一度出席されてはいかがでしょうか?