これは、1997年10月4日に東京で開催された『日本寮歌祭』の個人的参加記録です。
主催者である日本寮歌振興会の了承を得たものではありません。
写真を取り込む機器が手元からなくなりましたので、写真はありません。
また、1997年の体験を1年後(1998年10月5日)に書き起こし始めたものですので、 記憶の不確かな点などが多々あるかとは存じますが、 予めご了承ください。
雨がしとしと降るあいにくの天気の中、当時まだ兵庫県の西宮に住んでいた私は、
東京の日比谷公会堂を目指して急いでいました。
新幹線を降り、東京駅のコインロッカーに重い荷物を放りこむと、
旧制O商大予科のマークの入った法被と
手ぬぐいだけを胸のポケットにねじ込み、すぐに山手線に飛び乗りました。
新橋駅を降りると、すでに開会時刻の午後0時半になっていました。
日比谷公会堂の前まで来ると、雨だというのに大勢の「青年」たちが色とりどりの
法被を着て勢揃いし、寮歌の練習をしていました。
中には、東京都立大学の現役学生諸君の姿も。
石造りの急な階段を上り、会場に飛びこむと、先頭打者の 旧制浜松高等工業学校(今回初出場)が 『春酣(はるたけなわ)に』 を歌い終えようとしていました。 一体、どんな歌だったんだろう?
続いてやはり初出場の旧制拓殖大学予科。
ここは、現役の拓大の諸君も交えて、黒の学生服で登場。
いわゆる硬派拓大のイメージそのままです。
うたう歌は 『無題』。
静かな、しかし起伏に富んだ旋律の、しみじみと悲壮な歌でした。
作者不詳のようですので、ここに1番の歌詞を引用しておきます。
(寮歌祭パンフレットより)
『無題』
麗沢の水に散る紅葉
行く先何処か風に問え
チベット蒙古かインダスか
断頭台の果露か
珍しい歌を聴き終え、すぐに出場各校の受付に行って
記帳しました。わがO商科大学予科のメンバーは午後2時の出場なので
まだあまり来ていない様子。
扉の横でポケットから例の法被と手ぬぐいを取り出し、
青い背広の上にまといました。これで出場の準備は完了です。
一般受付のまわりでは、寮歌CDや関連書籍の販売
が行なわれています。
欲しかった日本コロムビアの寮歌CDがあったので、即購入。
と、何やら横にテレビカメラの気配が。ほんの2,3秒でしたが、
しっかりとテレビ東京に撮影されてしまいました。
皆さんも、会場に来られると、テレビに出られるかもしれません。
わがO商大メンバーは階段を降りた下の広場で歌唱練習。
集まったのは、関東在住のサラリーマン約30名。地元大阪の
メンバーより年齢的には若いようです。
某紙オムツ・女性生理用品メーカーの会長(OBであり、日本寮歌祭の顧問でもある)
は忙しくて来られそうにない、などとサラリーマンらしい会話が飛び交っています。
大阪には、
I大先輩という、声のよく通る、音感のすぐれた歌唱リーダーがおられますが、
東京はサラリーマンらしく、リーダーを年長者から順に譲り合っている様子。
「×さん、■さんがもし来られなかったらリーダーをお願いしますよ」
「▲さん、それより●さんにお願いしたら?」
「いやあ、●さんは去年たのんだから......」
「×さん、とりあえず今の練習のリード、お願いします。 あっ、キーは低めにお願いしますね。いつも×さん高くなっちゃうから(笑)」
などという関東弁のサラリーマン風会話の後、全員で 『桜花爛漫』 を斉唱しましたが、やはりキーが高めでした。 しかも、あまり揃っていない......。
練習が終わり、いよいよ出場時間が迫ってきました。
舞台そでへ上る急な階段の上、二高・六高の後ろで順番を待つO商大予科一同。
やがて二高・六高は舞台そでの幕の向こうに消えていきました。
(私の記憶が正しければ、二高・六高は一緒に舞台に上っていたはず。)
そしてついに、「出番だ、出番だ」の声。「よっしゃあ、
元気良くいこう」という声も。
いよいよ、わが旧制O商科大学予科の舞台です。
私は舞台の下手、前から2番目の位置をキープ。
最前列中央を見ると、わが母校には珍しい、いかにもバンカラスタイルのおっさんが。
ずいぶん恰幅がいいし、破帽弊衣で、マントに高下駄で、しかも袴姿。
旧制時代の母校にも、こんな人はいなかったと聞きます(都会派の学校でしたので)。
一体誰?
(実は、後日同窓会報の寮歌祭報告を読んだところ、俳優の金田龍之介氏でした。
旧制商大のOBではありませんが、同じく新制O市立大学に統合された旧制工専のOB
とのこと。)
いざ歌わんかな、桜花爛漫月朧!
我々は、伝統の逍遥歌を力一杯歌い始めました。
歌唱リーダーは、来るのが危ぶまれていた人らしいのですが、やはりキーが高め。
ついていけないので、みんな思い思いの音程で歌っていたような気がします。
(後日放映された録画を観たら、音痴さ加減は出場校中
最悪レベルでした。)
もともと相撲の応援歌なだけに、朗々とゆったりと歌う歌です。
寮歌は音痴に歌っても寮歌ですが、この歌は音程をはずすと一気にしょぼくれて
聞こえるのでした。
今後は、大阪のI大先輩のような人をリーダーに据えて練習しなおした方が、
観客の受けはいいかもしれない。
しかし、「青年」たちが楽しそうに歌っておられるのを見ると、
これはこれでいいような気もします。
悲喜艱楽を共にして、烏丘に集う我が健児 -
我々は舞台を後にしました。
一同、階段に勢揃いして小雨の中写真撮影。
そして一同は例年通り近くの料理店へ打上げに行ったようですが、
私は引き続き寮歌祭を観覧するために会堂の中に戻りました。
私は、2階の席に陣取りました。
1階の席はいつも満杯ですが、2階は出演校が控え場所として使う以外は
空いていますので、のんびりできます。舞台も全体が一望できます。
いよいよ、陸軍士官学校(東京・市ヶ谷)の出番です。
舞台の幕が開くと、白い制服に身を包んだかつての士官候補生たちが
整然と並んでいました。一番若い方でも 70歳ぐらいだというのに、カクシャクたるものです。
歌うは校歌 『太平洋の波の上』。歌の呼吸も、軍楽隊よろしく揃っています。
歌い終えると、号令に合わせて客席に敬礼!
笛の合図にのって全員駆け足で舞台を後にしていきました。
続いては、外地校3校 (旅順の2校と京城帝大予科) が出演。
旅順の2校は、それぞれ 『ダイナマイト節』 や 『北帰行』 が有名ですが、
東京の寮歌祭では、そういう俗っぽい歌はあまり歌わないようです。
『唐紅の花衣』 や 『薫風通ふ』 といった、悲壮な感じの歌を歌っていました。
次は、旧制長崎高等商業学校。
正統の旧制高校ではありませんので、同校が出演している寮歌祭は限られます。
私も、ここ東京と、神戸の寮歌祭でしか見たことがありません。ややレアです。
同校は、現役の新制長崎大学経済学部の学生諸君も出演しています。
ずいぶん愛校心の強い大学(学部?)ですね。
次の早稲田高等学院は、現役の新制早稲田の学生も出演。大人数です。
(早大には 「寮歌同好会」 があるようですね)。
歌は、あの 『都の西北』。
なにもこの校歌をわざわざ寮歌祭で歌わなくても、と思うのは私だけでしょうか。
私はまだ聴いたことの無い、『緑したたる戸山ヶ原に』を歌って欲しいと思うのですが......。
ライバルの慶應はどうした?
さらに舞台は進行して、ペア出演が2組。
1組目は旧制浦和高等学校と旧制静岡高等学校。
スポーツの対抗試合で、両校は関係が深かったようです。舞台上では、試合前のにらみ合い(?)も再現してくれます。歌は打って変わってしみじみとした歌ですが......。
2組目は旧制第四高等学校と旧制第八高等学校。
あの 『南下軍』 や 『伊吹おろし』 はここで登場。
さて午後3時半を回る頃、『軍艦マーチ』 が場内に響き渡りました。
行進しながら入場してくるのは、海軍兵学校(江田島)。
さきの陸軍士官学校のライバルです。一糸乱れぬ行進、と書きたいところですが、
そこは比較的自由な気風だった海軍のこと、陸軍ほどお固くないようです。
客席からは、「江田島しっかり!」 と陸軍からのエール。
「ゼンターイ、止マレッ! 右左向ケーッ、左ッ!」
指揮官が号令をかけると (号令の言葉も失念)、瞬時に全軍はジグザグ状の編隊になりました。
最前列は舞台上手を向き、2列目は舞台下手を向き、......
『江田島健児の歌』 を歌いながら、舞台上を行進します。
歌は、こちらも勇壮な行進曲です。この日は立派な演技でしたが、数年前、隊列がちょっと乱れたときは、
客席の陸軍士官から 「皇軍精神を忘れたのか!!」とヤジが飛んだことも。この世界では、戦後はまだまだ終わらないようです。
(※ 注: 陸軍士官学校と海軍兵学校の舞台を一部取り違えていましたので、訂正しました。 尾崎良江氏の『平成の愛唱寮歌八十曲選』でも、舞台上で行進するのは海軍兵学校、とのこと。)
< 早稲田関係者の方々へ >
私は個人的には早稲田が大嫌いなので((有名人・無名人ともに)OBに嫌いな人が多いためですが)、上の記事に悪口を書いておりましたが、 このページの趣旨には反するものでした。
謹んでおわび申し上げます。