( 昭和15年 旧制大阪商科大学学生歌 )
大阪商科大学学生 作詞
平井保喜 作曲
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<弐> |
出典: 『日本寮歌集』(日本寮歌振興会 編、1992年版)などを参考にしています。
なお、漢字・かな表記は現代のものに改めてあります。
著作権の都合上、曲は掲載できません。
作詞者は、当時の学生だと言われていますが、 公式には、作詞者不明のままにされています。作曲者 平井保喜(ひらい・やすき)氏は、『平城山』・『ゆりかご』 などで知られる作曲家。明治43年 [1910年] 生、平成14年 [2002年] 没。平井康三郎の名でも知られています。最近までJASRACの重鎮だったことも。ですから、当然 曲を掲載するわけにはいきません。
この歌は、昭和15年 [1940年]、紀元2600年を記念して歌詞が学内公募された学生歌の二等入選歌だと言われています。
二等以下には曲が付けられない予定でしたが、この歌を惜しんだ当時のグリークラブ部員たちが、OB会(南澪会)からの寄付を得て、一等入選歌に作曲した平井保喜氏に作曲を依頼した、とのことです。元来グリークラブの中でのみ細々と歌われていた歌ですが、 戦後の新制大阪市立大学においては、校歌のように歌われています。 (戦後は校歌が作られなかったため)。
この経緯については、大阪市大法学部40周年記念『聞けや大和の清流に』(平成5年6月)の巻末で、新制初期のOB 柳川英二氏が明らかにしておられます。なお、音楽系サークルが歌う場合は、
1番の 「若人」 を 「わこうど」、
2番の 「そびゆる」 を 「そびゆ」 と歌っています。"大和(やまと)" - 大和川。日本で1、2位を争う汚さの一級河川。歌が作られた当時は「清流」だったようです。
あまりに校歌然とした歌詞と曲で、これが現在の母校の代表歌というのは情けない。どこの校歌でも、ドブ川は清流だし、歴史は長いものだし、校舎はそびえるものなのですから。