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動く都の朝ぼらけ

(昭和15年 旧制大阪商科大学 応援歌
新制大阪市立大学 第二応援歌)

篠田恭一 原詞
林雄一郎 原曲
辻 厚生 補作詞

[ 原詞 『山水けぶる』 はこちら ]


<壱>
動く都の朝ぼらけ
山水煙る夕まぐれ
香陵 (こうりょう) の空 雲深く
若き涙の日々を詠む
泣け 青春の感激譜
瞳を濡らす花の雨

 

<弐>
芸術の町 月光 (つきあか)
哲学の里 あくる夜や
文化の雲に憧れて
水平線を望む時
見よ 燦然 (さんぜん) の暁を
涙ぞしむる大自然

<参>
カシオペイアの大星座
オリンピイアに夜来れば
スポーツの花 絢爛 (けんらん)
勇士の胸に咲き匂ふ
ああ情熱の月桂冠
勝利の鐘を打ち鳴らせ

 

<四>
ああ突風よ 吹かば吹け
ああ稲妻よ 射らば射れ
艱難辛苦 (かんなんしんく) を共にして
飛ぶ若鷲の群の如
(う) て 勇壮の羽翔 (はばたき)
万里をゆくの羽翔を


出典: 『日本寮歌集』(日本寮歌振興会編、1992年新装版)によっています。
振り仮名は現代仮名遣いによります。


著作権上の理由により、曲は収録しておりません。


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[ 注 記 ]

<著作権について>

作詞者 篠田恭一氏は 昭和14年 [1939年] 商大高等商業部入学、昭和16年 [1941年] 12月同校繰上卒業(戦時措置による)。
氏はこの歌のほかにも、応援歌『白雲躍る』(昭和14年)、クラス歌『緑園歌(SIIBの歌)』(昭和15年)、新制市大応援歌『白銀の翼』(平成2年)の作詞を手がけています。現在もご存命かもしれません。

作曲者 林雄一郎氏は学生ではなく、篠田氏の級友の兄君。音楽家とのことですが、資料がありません。JASRACの作品データベースによれば、西洋の宗教曲の編曲や、某神道系教団の歌曲などを多く手がけられている林雄一郎氏(著作権を信託しています)と同一人物かもしれません。

辻 厚生氏は旧制商大昭和25年 [1950年] 卒。のち新制大阪市大商学部教授や流通科学大教授を務められました。戦後久しく失われていたこの歌を、昭和41年 [1966年] 第1回全国寮歌祭のために、脳裏から発掘した方です。後に判明した原詞とはかなりの相違があるため、補作者としてお名前を挙げました。

著作権は存続しているようです。詞のほうはJASRACの管理楽曲ではないようですが、曲のほうはグレーゾーンです。


<歌詞について>

篠田氏の原詞 『山水けぶる』は、同氏作の『緑園歌(SIIBの歌)』の歌詞を元に作られました。
辻氏の記憶によって昭和41年 [1966年] に復元された現行の詞は、2つの歌がミックスされた形になっています。
(4番の "嵐を呼ぶ応援歌" は原詞にはなく、『緑園歌』の2番が入ったものです)

この歌は復元されるやすぐに、新制市大応援団によって 『第二応援歌(嵐を呼ぶ応援歌)』 として歌われるようになりました。

なお、原作者の篠田氏は、現行の詞について、「現在歌われている歌詞は原詞に戻すと混乱を来すでしょうし、かえって現在の方が良くなっているのですから、このまま歌いつづけていただくのがよろしいと考えています」(『有恒会百年史』P.477 より引用) と書いておられます。

"香陵(こうりょう)" - 大阪市住吉区杉本町に移転して以降の旧制大阪商大の美称。近くの浅香山(堺市)にちなんだ呼び名です。

"オリンピイアに夜来れば" - 歌うときには 「オリンピアー」 と伸ばす場所をずらすようです(『旧制大阪商科大学愛唱歌集』による)。

その他、歌詞の相違については、原詞 『山水けぶる』 のページの方に記します。


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Entaro NAGATANI, 1999-2006.
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