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芳葩爛漫

(大正5年? 旧制大阪高等商業学校 応援歌)

伝 足助重夫 作詞・作曲

大正10年版の歌詞はこちら


| PNG 楽譜 | 極貧 MIDI |

<壱>
芳葩爛漫 (ほうはらんまん) の月朧 (つきおぼろ)
胡蝶の舞を慕ひつゝ
人や南柯 (なんか) に迷ふとも
雄飛の壮図を胸にして
天に翔くる城南の
健児の意気を君見ずや

<弐>
男子 一度 (ひとたび)  意を決し
起たば成らざる事やある
毀誉褒貶 (きよほうへん) をよそにして
高く尊き使命あり
われら起たずば東洋の
商業萎靡 (しょうぎょういび) を如何にせん

<参>
朔風 (さくふう) 荒び 校外は
寂寥 (せきりょう) の気に満つるとき
激浪千里 滔 (とう) として
若き男 (お) の子の血は踊り
鉄腕扼し咆哮 (ほうこう)
意気衝天 (いきしょうてん) の吾が健児


出典: 『有恒会百年史』(有恒会 編、1990年)などを参考にしています。
なお、漢字表記・振り仮名は、現代のものに改めてあります。



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[ 注 記 ]

<著作権について>

作者は不明です。

言い伝えでは、大正5年頃、旧制大阪高等商業学校 角力(すもう)部員であった 足助重夫氏 (大正9年卒、昭和42年逝去) が1番を作ったとのことです。しかし、多数の卒業生の努力にもかかわらず、その確証は得られていません。

2・3番は、別の作者による、という説もあります。

後に (昭和4年) 剣道部の諸先輩が新しく2番・3番・4番を作詞して、 現在の逍遥歌 『桜花爛漫』 になりました。


<歌詞について>

上には最も妥当と考えられる歌詞を載せましたが、いくつかの変異があるようです。
別頁に、大正10年版の歌詞を掲載しておきます。

"芳葩(ほうは)" - 芳しい花。かなり早い時期に、「桜花」 に変わってしまったようです。

"月朧(つきおぼろ)" - 大阪弁では、「つき」の「つ」の方を高いアクセントで発音しますので、
曲のメロディーも、「つ」が高く、「き」が低くなっています。

"南柯(なんか)" - (はかない)夢。"一炊の夢"と同じ意味。

"城南" - 大阪城の南の地域。当時の大阪高商・大阪商科大学は、桃谷・烏ヶ辻 ("烏丘(うきゅう)")にあり、煉瓦造の壮麗な校舎を誇っていました。

"天に翔くる" - 「ペンにかくるゝ」 と歌われた時代もあったようです。

"毀誉褒貶 (きよほうへん) " - 他人から誉められたりけなされたりすること。他人の評価の良し悪し。

"商業萎靡(しょうぎょういび)" - 商業が衰退すること。具体的な歴史上の出来事は不明。

"朔風(さくふう)" - 北風。「荒び」 は 「荒み」 と歌われた時代もあるようです。

"激浪千里 滔として" - 「堂を揺らぐや四股(しこ)の響」 と歌われた時代もあるようです。これは相撲の応援歌そのものの歌詞です。


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Entaro NAGATANI, 1996-2006.
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