(前略−引用者)お返事ありがとうございます。紅萌ゆるの六番については、
やはり私も春から秋という方が自然な感じがします。
今の秋から春というように変わった理由として
(1)当時の三高近辺の風景がそうだった、つまり実際には岸に
紅葉があり山に桜があった
(2)入学時期の問題、当時は10月入学だったはずです。
それが4月入学になったので、歌詞の順番も変わった
(3)単なる誤植(身も蓋もないですが)
(4)当時の三高生の感覚としていつしか変わった
を考えたのですが、実際のところどうなのでしょうか。
ところで紅萌ゆるに似た歌ですが、こちらで作成したものを
お送りしようと思ったのですが、生憎MIDIファイルを送信する術が
分からないので、以下に譜面を書くことにします(すいません、
それも恐怖の数字式です)。第一部選手応援歌(大正五年)
ハ長調2/4
ド ド ド ミ レ ド レ ミ ド ミ ソ ラ ソ 0 -. = -. = -. = -. = -. = -. = ・ ・ ラ ラ ラ ソ ド ド ラ ソ ミ レ ミ レ ド 0 -. = -. = -. = -. = -. = -. = ・ ・ ・ ・ ・ ・ ド ド ド ド ド ド ラ ラ ソ ソ ソ ラ ソ 0 -. = -. = -. = -. = -. = -. = ミ ミ ミ ミ ソ ソ ド レ ミ ソ ミ レ ド 0 -. = -. = -. = -. = -. = -. =歌詞 一 七州の野(や)に雲乱れ 二 紅燃ゆる太陽(ひ)の前に 浪松島の江に狂ふ 群魔の呪今消えて 勇士一度弓とれば 勇士は得たり永久のはえ 矢は高鳴りて天をつく 輝の旗我にあり 三 若き男子の舷に 血の大旆をかざすとき 潮も和するとどろきは 一部の勝を告ぐるかな調は長調ですが短調の方があうように思います。
曲について説明しますと、第二高等学校は、毎年、端艇競漕
があり、文甲乙、理甲、理乙の三部に別れて行われていました。
これはその第一部(法文科、または文甲乙)の応援歌になります。
第二高等学校歌集には作詞作曲者ともに記載がありませんので、
たぶん著作権については問題はないでしょう。
これを見ていると、もしこの曲が紅萌ゆるから借りたとした場合、
すでに大正期には今の旋律がほぼ確定していたと類推できます。
あるいは他の高校にも伝わっているかもしれません。
第二高等学校の、他の曲については、改めてMailをお送りします
(「散りにし花は」「肥馬むち打たせ」など数曲あります)。
それではまた、よろしくお願いします。(以下略−引用者)
このあと1997/8/27 に MIDI ファイルを添付したメールをいただきました。
ご本人の承諾をいただきましたので、公開させていただきます。
(原題:「第一部選手応援歌 大正五年.wrk」。ハ短調で作成されています。CAKEWALK のファイルを MIDI フォーマットに変換しました。)「第二高等学校 第一部選手応援歌(大正5年)」[ 2c-cheer.mid、約 1KB、20秒。 ]
ご参考までに、「紅萌ゆる」 (これは、えんたろう作成の極貧 MIDI です)
どなたか、「紅萌ゆる」の歌詞について詳しい事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご意見フォームからお知らせください。
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なお、日本寮歌祭で 遊閑斎さんご本人にお会いしてお聞きしたところ、
旧制第三高等学校は、大正9年 [1920年] までは 9月入学。とのことでした。『紅萌ゆる』が作られた当時は9月入学だった、という訳です。
翌大正10年 [1921年] から4月入学になった。
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