< 1. 某教団賛美歌集の歴史概説 >

「某教団賛美歌の歴史を野次馬する頁」 表紙1. 歴史概説


2019.02.06 更新: 画像データの置き場所を変更。2009年版、2016年版(2018年版)の新歌集についてはまだ……。

以下の某教団賛美歌集の歴史は、某教団公式の歴史書 『エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々』(1993年)240-241頁 によっていますが、これはいわば 「大本営発表」 に過ぎませんので、適宜注釈を加えております。
教団組織・教義の変遷と 賛美歌集の変遷とは かなり密接な関係がありますので、その両者を追っていくことにします。

某教団の歴史についての批判的記述には、「エホバの証人情報センター」 (代表的な批判サイト。現在は 「保管庫」 に継承) を参考にさせていただいた部分があります。ありがとうございました。
また、当頁の推薦図書として、『良心の危機 −「エホバの証人」組織中枢での葛藤』 (レイモンド・フランズ著、樋口久訳、2001年 せせらぎ出版 刊。ISBN 4-88416-102-5 C0014) を挙げておきます。



■ 初代会長 ラッセルの時代 (1879年 [明治12年] − 1916年 [大正5年])

某教団はアメリカ・ピッツバーグの商人 C.T.ラッセル (Charles Taze Russell, 1852年生―1916年没) が再臨派 (アドベンティスト) の影響を受けて興したもので、
当初は、「1874年 [明治7年] にキリストは見えない形で既に再臨している。1914年に世の終わりが来る」、と予言していました。
(本当は紆余曲折がありますが省きます。聖書には、"キリストは いつか再び戻ってきて、信者を救い、世を罰する" 旨のことが書かれているため、こうした考えの人々が出現したのです。)
機関誌は 1879年 [明治12年] に創刊され、現在も 「The Watchtower (ものみの塔)」 として続刊されています。

1884年 [明治17年] 某教団、法人化。ラッセルが法人の初代会長となりました (「教団」 というより、「出版団体」 が法人化された、という方が近いかもしれません。なお、法人化される前の団体の初代会長は、ラッセルとは別の人とのことです。この人 → Wikipedia:William Henry Conley)。

一方、一般キリスト教からの借用だけでなく、信者による独自の賛美歌を作る努力もなされました。

(※ 2008.03.03 注)
M. L. McPhail氏の作品で、今も某教団で歌われている曲は無いのでは? と書いておりましたが、possibleさんのサイトの画像掲示板で頂いた情報によれば、1984年版歌集 162番の歌 「『み言葉を宣べ伝えよ』!」 のメロディーは、M. L. McPhail氏が 1900年に作曲した作品です。1900年版歌集の 1908年版 「Zion's Glad Songs for All Christian Gatherings」 では、25番の曲として収録されていました。情報ありがとうございました。

(2009.09.27 追記)
2009年版の新歌集には、M. L. McPhail氏の曲は、さすがに継承されなかったようです。曲としての寿命は 109年でした。

その後 1905年 [明治38年] に 『Hymns of Millennial Dawn (千年期黎明の賛美歌)』 が楽譜付きで発行されている通り、公式には 引き続き一般キリスト教賛美歌 (修正付き) を歌っていました。

ドイツ語では、1905年 [明治38年] に 『Zionslieder (シオン歌集)』 と題する歌集が発行されたようです。最初の版は 99曲でしたが、後の版ほど曲数が増えています。最初は 『Zion's Glad Songs』(1900年版歌集) に対応する歌集だったと思われますが、のちに 英語の 1905年版歌集に対応する歌集となったようです。Zionslieder の何曲かは 1928年版の歌集 (後述) に採用され、現在歌われている曲もあることから、一部は信者による作品だったようです。
Zionslieder (1905年版、1923年版) の扉画像は、こちらのサイトで見ることができます:
https://www.sektenausstieg.net/sekten/26-zeugen-jehovas/staat/nationalsozialismus/4035-deutschlandlied-im-liederbuch?showall=1


1914年 [大正3年]、"世の終わり" の年。もちろん、世の終わりは来ませんでした。
しかし、第一次大戦は勃発したため、この年から間もなくハルマゲドンが来る、という教義が残り、その後も何度か "終末予言" を出す羽目に。
いずれの予言も見事に外れていますが、教団が率直に誤りを認めたことはありません。

1916年 [大正5年]、初代会長ラッセルが病死。教団そのものの存続が危うくなってしまいました。

この頁の先頭へ戻る


■ 第2代会長 ラザフォードの時代 (1916年 [大正5年] − 1942年 [昭和17年])

第2代会長 J.F.ラザフォード (Joseph Franklin Lutherford, 1869年生―1942年没)。
ソ連にとってのスターリン、モルモン教団にとってのブリガム・ヤングのような偉大な 2代目。彼は法律家で、法律上の知識を駆使して独裁体制を敷きました。前会長のラッセルとはあまりに異なるキャラクターだったため、教団は分裂しました 。ラザフォードに反対するメンバーのグループは現在でも存続しており、前述の http://www.agsconsulting.com/http://www.pastor-russell.com/ はそうした団体のサイトです。

ラッセル時代にも増して一般キリスト教会への攻撃を行った教団は、扇動罪で教団役員8人が 1919年 [大正8年] まで 9ヶ月間投獄されました。出獄後のラザフォードは、「Millions Now Living Will Never Die (現存する万民は決して死することなし)」 と題する本を出版し、1925年 [大正14年] には世の終わりが来て信者は天に行ける、と予言しました。しかし、またしても予言は外れました。それでも、「世の終わりは近い」 と訴える野外勧誘活動は一層強化されました。

1931年 [昭和6年]、「Jehovah's Witnesses (エホバの証者 [現、エホバの証人])」 という呼称を採択。
このころから、十字架の否定 (キリストは一本の杭に磔にされたとする)、クリスマスの否定、といった非キリスト教的教理が増えていくのです。ついに 1935年 [昭和10年] には、天に行くのは 「油注がれた(anointed)」 144,000人だけで、それ以外の信者 「大いなる群衆 [現、大群衆] 」 は地上の楽園に行く、とするに至ります。

なお、某教団の場合、第二次大戦前、日本語版の賛美歌集は発行されなかったようです。某教団の日本支部は 1926年 [大正15年] に 「灯台社」 として設立されましたが、昭和に入ると多くの信者が不敬罪や治安維持法で検挙されるなど、とても賛美歌を翻訳する雰囲気ではなさそうです。某教団よりやや歴史の古いモルモン教 (末日聖徒イエス・キリスト教会) の場合は、明治時代にすでに日本語版賛美歌集が発行されていました。

(※ 2008.03.03 注 その2)
Fandom.com 上の 『Watchtower Classic Library』によれば、1928年版歌集の一部の歌は邦訳歌詞が作られ、機関誌 『灯台』 (現・『ものみの塔』) に掲載されていました。例えば、『灯台』 1930年7月号には、三つの歌の邦詞が掲載されており、うち 1曲は 1984年版歌集 61番の歌の元歌 (我はエホバなり) です。

1942年 [昭和17年]、第2代会長 ラザフォード死去。
やはり晩年には、「第二次大戦中にハルマゲドン (世の終わり) が来る」 と強調していたようです。

この頁の先頭へ戻る


■ 第3代会長 ノアの時代 (1942年 [昭和17年] − 1977年 [昭和52年])

第3代会長、N.H.ノア(Nathan Homer Knorr, 1905年生―1977年没)。
この頃から、雑誌書籍の執筆者名が表記されなくなったようです。集会で歌う習慣は 1944年 [昭和19年] に復活しました。



1966年 [昭和41年]、『Life Everlasting In Freedom of the Sons of God (神の自由の子となってうける永遠の生命)』 と題する本で、1975年 [昭和50年] にアダムの創造からの 6,000年が終わることが強調され、事実上、ハルマゲドンの来る年、とされました。布教活動はより一層強化されました。

(少々解説を) 旧約聖書の 「創世記」 には、「神が六日間で万物を創り、七日目に安息し給うた」旨が書かれており、これが六日間の労苦ののち七日目に休む 「安息日 (Sabbath)」 の由来となっています。
某教団では、この七日間を人類の歴史に当てはめて、六日間 (6,000年) の労苦ののち七日目 (1,000年) の安息 (ハルマゲドン後に来る 「キリストの千年統治 (Millennial Reign)」) を迎える、と考えていたようです (キリストの千年統治は新約聖書・黙示録 (啓示) 20章に登場しますが、キリスト教の多数説は 「無千年王国説」 で、文字通りの 1,000年とは考えられていません。某教団は 「前千年王国説」 の一派です)。
一方で、創造の七日間を文字通りの七日間 (24時間×7) とは考えておらず、現在も "七日目" (神の安息) が継続していると考えています。そして、キリストの千年統治はこの "七日目" のうちに実現する、とも考えています。
この当時は、「創造の "1日" = 7,000年」 と考えていましたから (聖書的な根拠は皆無)、創造が終わってから 6,000年でハルマゲドンが来ることになっていたのです。(「1日」 の長さを変えると、任意の年にハルマゲドン・デーを設定できることに注意。)


1975年 [昭和50年]。ハルマゲドンが来る、と期待されていましたが、もちろん来ませんでした。多くの人が教団を離れました。教団は、「世の終わりが来るのは アダムではなくエバ (イブ) の創造後、6,000年が経過した時だ」、と頬被り。アダムの何年後にエバが造られたのかは聖書に明記されていないため、こうした論法が通用したのです。(現在では更に、「創造の "1日" = 7,000年」 という考え方自体がフェード・アウトしています。)

1977年 [昭和52年]、第3代会長 ノア死去。
ノア会長の任期中に、それまで会長職に集中していた権力を集団 (統治体) に移譲する改革が行われたため、ノア会長以降は、会長の "独自色" は薄れていきました。(というより、ノア会長の時代全体を通じて、理論面の実権は 次の会長となった F.W.フランズが握っていたとされていますから、フランズ会長の特色はノア会長時代に出尽くしていたと考えてよいでしょう。)さらに現在では、統治体の代表メンバーが 法人の会長を兼務することはなくなり、「法人の会長 = 教団の代表者」 とは言えなくなりました。

この頁の先頭へ戻る


■ その後、現在まで (1977年 [昭和52年] −)

1977年 [昭和52年]、第4代会長に F.W.フランズ(Frederick William Franz, 1893年生―1992年没) 就任。

1982年 [昭和57年]、夏の地域大会で、旧約・新約全巻の揃った日本語版 『新世界訳聖書』 が発表されました。 これは、長年親しまれてきた 日本聖書協会 『文語訳』 との訣別 を意味しました。
某教団の賛美歌の歌詞は、そのほとんどが (簡略化された) 文語体ですが、この頃から文語体の歌詞の理解できない信者が増えてきたのです。しかし、口語体は大抵、文語体より多くの音節を必要とするため、某教団に限らず翻訳歌詞を使う教団では、引き続き文語体を使っているケースが多いようです。
『新世界訳聖書』 日本語訳全巻の出版に合わせた歌詞の変更は、次に述べる新しい賛美歌集で行われました。

61番『わたしはエホバである』169番「新しい歌」209番「戦人なる王の後に従え!」 の 3曲。 実は、61番は 1928年版歌集にも載っている古い曲です。

ここで疑問が生じます。1966年版歌集が出た際に、多くの歌が削除された理由は、"世俗の曲だから" だったり、"他宗教の曲だから" というものだったはずです。この 3曲は明らかに信者の作品なのに、なぜ 1966年版歌集から削除されたのでしょう? と。

日本K産党並みに過去の歴史を繕う教団ですから、答えは得られません。結局、この 3曲が削除され、復活したのは、単に教団の都合だったことになります。(1984年版歌集から削除された 12曲 の中にも、恣意的に削られた曲があるかもね。)

なお、新しく加えられた 115曲は、広く全世界の信者から提供され、中には日本人信者による曲もあるようです。この新しい歌集の評判は必ずしも良いとは限りません。日本人の趣味に合わない曲も多いのか、1966年版の頃より教団賛美歌を嫌う信者が多いようです。

日本語版歌集は 1984年の年末に発行されました。他の言語の版も、英語版を元にしているため多少遅れて発行されています (例として、ドイツ語版は 1986年、ロシア語版は 1994年の発行。300人ほどしか使用者のいないアイスランド語版も 2000年代になってからできた由)。歌の番号は、原則として、全世界共通 (というか、英語版のを踏襲) です。